西川流とは

西川流は、初世宗家の生誕から三百有余年、最も古い流派の一つであり、由緒と歴史を誇る日本舞踊の五流派に数えられています。歴世の宗家は次の通りで、世阿弥の有名な言葉、「家、家にあらず。継ぐをもて家とす」(『花伝』第七別紙口伝)という信条を今日まで貫いてきたことがわかります。

  • 初世宗家 西川仙藏

    (生年不詳*~宝暦六年六月八日没) *一説に元禄十一年

    旗本もしくは御家人の次男。能の囃子に長じ、歌舞伎の囃子方を支援して下座音楽の地位向上に偉大な貢献をする。後に名振付師を輩出する流儀の基礎を作る。

  • 二世宗家 西川扇藏

    (生年不詳*~寛政元年十二月二十一日没) *一説に享保三年

    初世宗家の子西川千蔵の養子。「鞍馬獅子」「関の扉」など多数の傑作を生み、浄瑠璃所作事を完成させた振付の名人として功績を残す。養父は町方へ日本舞踊を普及させた大師匠だが、振付師ではないため宗家の代数に数えていない。

  • 三世宗家 西川扇藏

    (生年不詳~文政五年八月二日没)

    二世宗家の門弟西川熊之助。流行の変化物の振付に才を発揮し、「手習子」や三世藤間勘兵衛と共に「花車岩井扇」など上品で雅趣に富んだ佳作を手掛ける。

  • 四世宗家 西川扇藏

    (生年不詳*~弘化二年三月二日没) *一説に寛政四年・寛政九年

    三世宗家の養子。前名藤間勘助。江戸三座や控え櫓の座付振付師を勤め、「釣狐」「三つ面子守」「勧進帳」など多数の名作を振り付けた屈指の名人。多くの男性門弟を育てた師匠として器も大きい。歌舞伎界に揺るぎない地位を築き、日本舞踊が近代化へと向かうための基盤を固める。

  • 五世宗家 西川扇藏

    (生年不詳~万延元年十月二十三日没)

    四世宗家の門弟西川巳之助。「山姥」などの大作や西川芳次郎(花柳寿助)と共に「粟餅」などの風俗物を多く振り付ける。流風をよく伝え、流儀の伝統を守ることに専心する。

  • 六世宗家 西川扇藏

    (慶応三年~明治四年まで名乗る)

    二世藤間勘右衞門が養子となり、六世宗家を継承する。

  • 七世宗家 西川巳之助 後に扇藏を追贈

    (生年不詳*~明治三十一年九月十七日没) *一説に天保十二年

    五世宗家の子西川幸吉。斯界で家元と認識されながらも「扇藏」を名乗っていない。歌舞伎の振付から離れ女性師匠の育成に努めたが、時流に乗れず不遇のうちに生涯を終える。

  • 八世宗家 西川扇造

    (安政六年三月十二日~大正十二年十月六日没)

    七世宗家の門弟西川喜尾八。宗家空白時代を経て、女性の身で重い名跡を継ぐことを望まず「扇造」と名乗る。

  • 九世宗家 西川扇藏

    (明治四十年二月二十五日~昭和十年十一月二十一日没)

    八世宗家の養女尾村保子。十六歳で九世宗家を継承したが、二十八歳で急逝する。

  • 十世宗家 西川扇藏

    (昭和三年六月二十二日~令和五年七月十四日没)

    九世宗家の長男尾村宏一郎。後に本名を西川扇藏と改名。母の没後、七歳で十世宗家を継承する。古典と真摯に向き合い、流儀の伝承演目を守り、「七騎落」「瓜盗人」など数々と話題作を発表、高い評価を得る。温厚な人格者で、衰えた流勢を再興し、今日の繁栄へと導く。

  • 十一世宗家 西川扇藏

    (昭和三十五年二月一日~)

    十世宗家の長男西川均。前名西川箕乃助。父の逝去に伴い、十一世宗家を継承する。

参考文献:『日本舞踊 西川流史』

丸茂祐佳 元日本大学教授・舞踊評論家

西川流

一般財団法人西川流

〒162-0066東京都新宿区市谷台町8番12号

TEL: 03-3355-6878(平日 8〜16時)

FAX: 03-3355-2230(年中無休 24時間受付)

お問い合わせ

© Nishikawaryu.