日本舞踊について
日本舞踊とは
日本舞踊は大きく分けて三種類、歌舞伎舞踊と上方舞、近代に入って歌舞伎から離れる趣旨で創造された舞踊があります。
明治末頃、坪内逍遙が国劇(その国特有の伝統劇な演劇)の改革を提唱。新時代の日本を代表する楽劇として、舞踊劇の創造を推奨し、舞と踊りを合わせた「舞踊」という語が作られました。本来、舞と踊りは異なり、舞は巡り廻る動きを主体とし、足はあまり高く上げず、表現を内に込めていきます。踊りは、リズム的な動きを伴い、足を高く上げる動作が特色で、「舞」は上方を中心に、「踊り」は江戸を主体に行われていたのが、ここで日本舞踊の名のもとにまとめられたのです。そして日本舞踊は稽古事としても普及し、伝統芸能の大きな流れの一つを築いてきました。
こうした背景の中から大正期には古典舞踊に対する新しい舞踊作品を創造する運動(新舞踊運動)が起こり、女流舞踊家が活躍。日本舞踊は歌舞伎舞踊という母胎から離れ、稽古事にとどまらない舞台芸能として独立し、昭和期には一般家庭の子女も舞踊家を志し、多くの魅力的な舞踊家が誕生しました。舞踊の内容も大正期以来、バレエや近代演劇に刺激され、あるいは民俗芸能の表現や群舞といった構造を取り入れるなど、様々な芸能を取り込み、時代との接点を模索しながら発展し続け、今日に至っています。
ちなみに、扇や小道具などの持ち物を持つのは日本の伝統芸能に共通する特徴で、その持ち物は神の依代とも、あるいはそれを持つことにより、舞う資格を与えられるとも考えられてきました。日本舞踊は、古来からの精神性を大事にしながら、受け継がれてもいます。
いろいろな上演形式
このような流れとともに日本舞踊にはいろいろな上演形式が生まれました。「衣裳付け」「半素」「素踊り」です。
「衣裳付け」はその役の扮装をし、大道具を飾って歌舞伎の舞台さながらに踊る形式。
「素踊り」は歌舞伎とは異なる表現を追求したところから発生し、演者は特定の役柄の扮装をしないシンプルな拵えで、基本的には大道具も用いず、屏風だけを背景に踊ります。つまり衣裳や大道具といった装飾の力を借りずに作品世界を描出していくのです。この形式は舞踊家の技芸の高さを示すものとして重要視されています。上方舞も概ね素踊りのようなシンプルな形式で行われます。
「半素」は、「衣裳付け」と「素踊り」の間という意味で、役のイメージを象徴的に映す方式です。
表現の面白さ
日本舞踊の面白さはまず「男らしさ」「女らしさ」を表わす振りがあることです。男の振りでは「足を外に開く」、女の振りでは「足を内股にして、脇を締める」といった表現を基本とし、老若男女、武士や町人、町娘や芸者といった様々な人物を演じていきます。
また風景や日常動作の描写も特徴的です。扇や手などで花を形作る、扇を上下に動かして波を描く、あるいは袂を羽ばたかせて鳥になり、扇を盃にしてお酒を飲むなどの振りがあり、それらには物を何かに見立てる「見立て」の精神が息づいています。さらに風景や日常動作の描写に加え、一人で何役も踊り分ける趣向もあります。このように踊り手が自然現象を映す振りや一人で何役も踊り分ける表現は、バレエなどにはほとんど見られないことで、これらが日本舞踊の大きな魅力となっています。そのほか、リズム本意のものや特に意味づけのない振りもあり、それらがバランス良くミックスされて出来ています。
さらにこうした表現が三味線音楽とともに繰り広げられるのもまた味わい深く、音楽に伴う歌詞は美しい日本語が連ねられ、それらが混然一体となる妙味が楽しめます。日本の面白さが詰まっている、それが日本舞踊です。
舞踊評論家 阿部さとみ